昨日おとといと、善悪についての
記事を投稿させていただきましたが、
今回は、ネガティブエネルギーの
究極の存在の性質がわかる霊の実例を
取り上げています。
ここで、一つポジティブエネルギーと
ネガティブエネルギーのそれぞれの
共通する性質を説明しておきますね。
それぞれのエネルギーは同質のものを
引き寄せます。ポジティブなエネルギー
は、ポジティブなエネルギーを引き
寄せるという事は、最近の多く
広まっているスピリチュアルメッセージ
で、理解されている人も多いと思います。
そしてやはり引き寄せられたその
ポジティブなエネルギーはパワーアップ
していく事になるのは、わかりますよね。
で、それに対してネガティブエネルギー
の性質は、逆にネガティブエネルギーを
引き寄せて、パワーアップしていく事に
なるのです。
そうですね、あらゆるレベルにみられ
ますが、とても身近な例を一つ取り
上げておきましょう。
たとえば怒りという行為ですね。
誰しもきっかけはささいな事から、相手
と口論になる事は、ご経験あるでしょう。
そして単純に理解できないものへの少し
の苛立ちなどが沸き起こりますよね。
しかし、実はこの感情のエネルギーは、
そのエネルギーに任せていくと、どんどん
勝手に膨らんでいくわけです、つまり非人格的霊というもの 悪霊の一つの形
怒りが勝手な収まらなくなってきます。
これが、怒りが暴走して、犯罪などを
引き起こす原因になったりもするの
ですが、これがネガティブエネルギーが
自身で、同質のエネルギーを取り込んで
パワーアップしていく事の、仕組みです。
その同質のエネルギーとは、もちろん
自分自身の中にあるネガティブな性質
のものと、もう一つは、相手の怒りや
悲しみや恐れなどのネガティブ
エネルギーという事になります。
これが相手がとにかく恐れているだけ
なのに、それに対しても怒りを大きく
させる例のからくりでもあるわけです。
恐れであっても、悲しみであっても
それが、怒っている本人にとっての
ネガティブなエネルギーと同質のもので
あれば、やはりパワーアップさせる
事になるわけです。
もちろん意識に自在性があるような
レベルの通常の人であれば、暴走して
いる感情に気付いて、相手への気持ちを
取り戻し、怒りを収めて、相手と調和
しようとするでしょう。
またもう一方の方も、怒っている相手へ
の愛情と一体感を持って応じれば、
だんだんと相手の怒りを変質させていく
事ができるのです。
ここでそういう感情のエネルギーより
も、レベルの高い意識という存在が
あるというのがわかるわけです。
ただ、ふだんから、そういう意識を
自覚して高めていない人は、感情と一体
になってしまい、その暴走に身をまかせて
しまうという事なのです。
それゆえに意識とその理解を常に高めて
おくようにしていく事が大切なわけです。
ここで問いたいです、そのような大事な
事は、学校で学べましたか?という事
です。なぜ教えられないかの理由に
ついて探究していけば、私たち全員の
集合意識が、どのように誘導されている
のかの、理解が深まるというわけです。
そして今回は、そのような理解のために
ネガティブエネルギーの究極の存在の
性質を持つ霊について取り上げている
記事を再投稿します。
以下いです。
以前霊の存在についての事例を、
取り上げていましたが、霊には
当然様々な種類があり、また我々
の肉体が完全体でないように、
個人的な存在に近い霊もまた不完全で、
さらに変化もし、人格的なものから、
単に意識の一部のようなものまで
さまざまです。
そして当然霊には、全てと一体である
究極の絶対意識に近い、集合的な
ものもあり、また亡くなった人の魂や
霊を導くための光の存在のような高度な
霊もあるわけです。
今回は、その中の一つの霊の働きとして、
非人格的な霊の憑依という現象について、
コリン・ウィルソン氏の著書から引用
させていただきます。
これはアダムクラブツリー氏の紹介する
事例だという事です。
「」内が引用で、~が中略です。
「●「非人間的霊存在による憑依」
アダムクラブツリーの『多重人格』にも、
奇想天外な非人間的存在らしきものの
「憑依」事例がある。クラブツリーは、
あまりにも突飛なその話の収録を
ためらった。
「しかしながら、それが私の描写どおりに
おこったこともまた事実なのだ。
(むしろ私は、劇的なエピソードの記述
をいくらか控え目にしたほどだ)」。
マリアスは、大学で歴史を教える
かたわら、政府諮問委員会でかなりの地位
を占める人物である。結婚生活も裕福な
ものだったが、ある日突然なんの理由も
なく、妻を殺したいという衝動をおぼえる
ようになった。「血を見たいという何か
執拗な内的衝動」に動かされているよう
なのだ。その衝動があまりにも強烈なため、
マリアスはいつか自分が自制心を失い、
妻を殺してしまうだろうと確信した。
夢が手掛かりを与えてくれた。彼は
夢の中で、毛皮をまとった穴居人とともに
、肉片をぶらさげて乾燥させている粗末な
小屋にうずくまっていた。頑丈な
たくましい原始人が地下室からあがって
くるという夢も見た。この夢を見て
まもなく、コインのコレクションを調べて
いると、ひとつのコインがなくなっていた。
それは棚の上に見つかったが、そんな
ところにコインをおいたおぼえはなかった。
また修繕したはずのブラインドが破れて
いたこともあったが、その理由もわから
なかった。
その後、頭の中で「声」が聞こえる
ようになった。声は告げた。自分は
おまえが夢で見た男だ、永遠におまえの
中に住んでいる。それを証明するために、
二度憑依し、コインを動かし、
ブラインドを破ったのだ。自分は好きな
ときにおまえに憑依できる-。
マリアスは自分が〈熊〉(ベア)と
呼ばれる奇妙な霊存在に「憑依」されて
いると信じ、自分なりの除霊方法を考え
出した。
大きな焚き火の前に横たわり、熱気を
吸収して力をたくわえ、ベアを出現
させるのだ。
実験のため、クラブツリーとマリアス
は郊外の別荘におもむいた。マリアスが
凶暴性を発揮したときにそなえて、
屈強な五人の男も同行した。炉に大きな
火が燃され、マリアスは上半身裸になって
その前に横たわった。半時間後、彼は
うなり声をあげ、床をひっかきはじめた。
緊張が解けて常態にもどってから、彼は
やっと〈ベア〉のことがわかったと告げた。
それは一群の狩人にとらえられ、じわじわ
となぶり殺しにされた巨大な洞窟熊だった。
(明らかになんらかの儀式だろう)。
その霊が狩人の一人にとりつき、子々孫々
マリアスにまで伝えられたのだ。しかし、
いまそれもマリアスから去っていった。
しかしながら、マリアスを暴力に駆り
立てる霊存在は、まだ彼の内に残っていた。
マリアスによると、それは
「宙にあいた丸い穴」で、凶暴性を吸収
するのだという。それは熊が殺されたとき
から存在し、マリアスの夢では、地下室
から出現した巨大な原始人の姿をとって
いた(その象徴的意味は明らかだ)。
翌日、マリアスが完全な弛緩状態に
はいると、その霊存在が彼を通じて
話しはじめた。多くの質問といくつかの
喧嘩越しの口論ののち、それはついに
モーラックと名のり、遠い昔山羊と雄鹿
として崇拝されたものだと語った。
「それは崇拝者たちの生命とエネルギー
を糧とし」、数千年のあいださまざまな
形で崇拝されてきた。
また、「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖
の雰囲気の中で成長する」。
それはみずからを、宙の「ゆらめき」の
ようなもの、「『ふち』らしきものを
もった真っ黒な渦巻きのようなもの」
と描写し、クラブツリーやその同僚が
マリアスにむけている好意に嫌悪を
示した。
マリアスが疲労困憊すると(「霊存在」
をあつかうときにはよあることだ)、
実験は翌日までもちこされた。
マリアスは実験中の出来事をまったく
記憶していなかった。
トロントにもどってからも、この
「霊存在」との奇妙な会話はつづいた。
それはまだ軽蔑をあらわにしながらも、
非協力的な態度をいくぶんあらためた。
「町で多くの実験をおこなったのち、
新しい局面がひらけた。霊存在が自身
の過去を思い出しはじめたのだ。
それは語った。自分は別の場所から
やってきた。思い出すことはできないが、
地上にあらわれるより以前から存在して
いた」。~
~ある日、霊存在は、自分に関する事実
をまたひとつ思い出した。自分はいつも
考えていたような真っ黒な存在ではなく、
「ふち」の部分はいくらか明るいようだ
ー。そこから事態は急展開を示した。
霊存在は、「白い光」を恐れる
必要のないこと、遠い昔は自分も別の
場所で「光」の中に住んでいたことを
思い出した。つづいて、憑依している
宿主からはなれなくてはならないことも
認識した。はじめは餌(注釈:崇拝者
たちの生命とエネルギー)となるものが
なくなれば飢えるのではないかと心配
したが、「光」から栄養を得られる
ことを知ると、彼からはなれていった。
クラブツリーの記録によると、以後
十八ヶ月のあいだ、マリアスは霊の訪問
をうけず、家庭生活も平常にもどった
という。」
“出典:「コリン・ウィルソンの
『来世体験』」
コリン・ウィルソン著
荒俣宏 監修・解説
梶元靖子訳
三笠書房刊 ”
とても長かったので要約しますと、マリアス
という裕福な結婚生活をしている社会的に
安定した地位にある男性が、妻を殺したい
という、理由もわからない衝動をおぼえる
ようになり、夢をきっかけに、その衝動が
「ベア」と呼ばれる霊的な存在による
ものだと気づかされました。
そして除霊の方法を、自分で考え出して
見事に「ベア」を追い出す事に成功しました。
その「ベア」は太古の狩人たちの生け贄に
されるためなのか、なぶり殺しにされた熊
が霊になった姿だという事です。
ベアになった時にその狩人の一人に取り
憑いたのですが、それが、マリウスの先祖
だったという事です。
しかし、素人の除霊だったからなのか、
「ベア」が去ったあとも邪悪な霊的存在
は残ったままになっていて、それは
どう考えてみても悪魔のような存在です。
「崇拝者たちの生命とエネルギーを糧とし」
、数千年の間崇拝されてきた上に、
「愛情や慈悲を嫌い、暴力や恐怖の雰囲気
の中で成長する」存在という事は、
完全に生け贄の風習によって、あがめられ
てきた、古来から世界中で崇拝されてきた
神の事で、真実としては悪魔の事です。
山羊というのは、悪の化身である山羊の
頭部を持つバフォメットの事だと思われ
ます。雄鹿の方はわかりませんが、片方
だけで充分に悪の象徴だという事が、
わかります。
つまり狩人たちが崇拝していたのが、
この悪魔の事で、生け贄を捧げること
でなんらかの御利益を得たという事
でしよう。
そして、そのとき召喚された悪魔が、
熊の霊と一体となって、マリアスの祖先
の狩人に取り憑いていたということです。
つまり素人の除霊により、熊の霊だけ
去って、悪魔だけ霊として残ったという
事ですね。
みなさん悪魔って召喚されたこやつが
全てだと勘違いされていませんよね。
もちろん召喚されたのは単に悪魔の一部
だという事です。
つまり完全体でないという事なのです。
つまり憑依していた熊の霊がなくなると、
だんだんと自らのエネルギーを変容させて
いくしかないわけです。もちろんマリアス
とまわりの人々が、愛や情で結ばれて
いなくて、マリアスに邪悪な心があれば、
この悪魔は、そのままの邪悪さで、憑依
できたでしょうが、マリアスに対する
まわりのあたたかい感情とマリアス自身
の心の善良さに、だんだんと自分自身も
変容せざるを得なくなってきたという
わけなのです。
そうすると悪魔が、実は過去では悪その
ものでなく、別の場所からやってきたと
語り始めるのです。
さらに、悪魔だけでなく他のすべての
ものと同様自分も光の一部であった事を
思い出し、マリアスの憑依を解いて、
離れていったという事なのです。
光というのは、絶対意識レベルの領域で
全てはそこから生まれるので、悪魔
として分離した意識も、愛情などの
あたたかい心に触れていると、もとの
光である絶対意識に回帰する事を思い
出すようになるという事なのです。
これはとても多くの事を学べる事例
だったと思います。
人格的な霊だけでなく、動物の霊や
悪魔の霊などもあって、人間に取り
憑く場合があるという事なのです。
そして古来からある生け贄の風習と
いうのは、やはり悪魔の食べ物だと
いう事ですね。
おかしいと思いませんでしたか?
物質世界の制約も受けず、万能で
永遠の慈悲深き神が、無垢な少女や
熊などを生け贄にするなんて、絶対
おかしいですよ。むしろそういう
罪のない人や存在を守ろうとするの
が神という定義なら、なぜ古代から
世界中で生け贄の風習があったのか、
おかしいとおもわなかったら、それは
これまで、神という定義について、
あまり考えずに、そう呼ばれてきた
からという事だけでうのみにしてきた
という事です。真理を知ろうとする事が
とても大切だという事の好例です。
今回の悪魔のように生け贄を必要と
するものは、「愛情や慈悲を嫌い、
暴力や恐怖の雰囲気の中で成長する」
のです。これってまさしく正真正銘の
悪魔と気づかなければうそですよね。
今回はその悪魔がベアという熊の霊を
媒介として、マリアスに残虐な行為を
させ妻の生命のエネルギーと暴力や
恐怖のネガティブエネルギーを糧と
しようとしたという事だったのです。
わかっていただけますよね(^^)
霊の憑依についての記事はまだあります
ので、また取り上げていきたいと思い
ます(^^)